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震災時の日本の評価:ほめられるのはうれしいけれどもう少しバランスを持った見方をしてほしい

「このような震災を目の前にしても冷静沈着で暴動ひとつおこさない日本人に感心。」のような記事が、最近目に付きます。

昔は「まるで軍隊のような日本人。街を歩くときもピシッと歩く。」みたいな、どっちかというと揶揄的な評価を目にすることが多かった気がします。

冒頭の記事に反論する形で「日本でも略奪があった」という記事も、最近私は目にしました。

亡くなった筑紫哲也さんが若い頃著した「破れかぶれ英会話」みたいなタイトルの、あの方らしい語り口の英会話の本の中で「日本人の評価は、礼賛と侮蔑と両極端であることが多い。そのような傾向が心配だ。」という記述があったことを覚えています。

私個人的には「日本人はいろいろな意味で村社会で、集団で言動を統一することを美とし、それから外れる人が生きていくのが難しい社会。」と思っていて、それがいろいろな出方をしていて、一方で「美徳」で、もう一方で「悪徳」(美徳の反対をこういうそうです)として現れるのではないかと思います。

極端な例を言うと、戦時中は「戦争に勝つ」という考え方が日本の「村」を形成し、そこから外れると生きていくのが難しい社会で、それが原因で負けの傷口を広げてしまいました。

今は(基本的な日本人の考え方の一つとして)「社会のためには己の欲望もある程度我慢し、集団としての平和・生活の向上を目指す。」という考え方が大勢を占め、被災地の皆様の行動に反映し、冒頭にあった「暴動ひとつおこさない日本人」という行動に結びついているのだと思います。

一方で、「略奪があった」というのは、そのような「村社会」から逸脱した人たちが起こしたり、やはり自分の欲望が優先して起こしてしまった行動ではないのでしょうか。そのような方は刑法の処罰を受けるだけでなく、そこから出ても「村社会」で生きていくのはきっと難しいでしょう。

日本人だから、ほかの国の人だからと、人の基本的な行動の傾向が変わるわけではなく、集団としての行動の傾向が生み出している現象であるだけなのではと思います。

何かというと特殊に見られがちな日本人の行動ですが、「侮蔑」に振れる事がないよう、復興後も行動に気をつけて生きたいと思います。

ただ本当は、もう少しバランスを持った見方をしてほしいというのが、正直なところです。

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