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8月9日:ナガサキの原爆投下の日です

私は幼いころ、長崎に住んでいました。

長崎や広島では、学校で「原爆教育」をするらしく、私も読本を配られて、それを授業で勉強しました。「くもになってきえた」という題名だったと思います。

実際に、原爆の爆心近くにいた人たちは、文字通りなにも意識する暇もなく、気化するように亡くなったと思います。葬式どころか、「遺体を焼かれる」「遺体が安置される」という経験もないままなくなるわけです。文字通り「雲になって消えた」方々だったわけです。

幼いころ風邪を引いたとき、親に「原爆病院にいこう」と言って連れて行かれたことがあります。「何で原爆病院って言うの?」と聞くと「昔原爆が落ちたときに、みんなそこで治療したからそう呼ばれるようになった。」と、こたえてもらった気がします。

何か特別な雰囲気があるのかとも思ったのですが、見たところは普通の病院でした。ただ、被爆者手帳を窓口で提示した人がいた・・・様な気がします。よく覚えていませんが。

その「くもになってきえた」と言う本には、原爆をつづった小学生位の子の作文があり、その中にこの「原爆病院」の記述が出てきていたことを記憶しています。

「当時まだそう呼ばれることがなかった原爆病院は、コンクリート製の当時としては丈夫な建物だったので、一見無事なように立っていました。ただ、窓からは黒い煙が出ていて、中は火災が起きていたようです。・・・」

「街の人たちはみんな、治療を求めてこの原爆病院に殺到しました。でも、原爆病院は設備も壊れていてほとんど役に立たず、薬もすぐに使い切ってしまい、満足な治療ができませんでした・・・」

「お医者さんたちや看護婦さんたちも、怪我をしていたので、患者さんを診るのが大変でしたが、それでも一生懸命治療をしていました・・・。」

といった記述が、なされていたと思います。

今手元にその本があるわけではありませんが、それでもこんな記述だったことは鮮明に覚えています。三つ子の魂百までとは、こんなことを言うのかなと思います。

私はこの本を呼んで書いた感想文の中に「当時の指導者が無理をしたから、アメリカにこんな攻撃をされてしまった。悪いのは日本の当時の指導者だ。」みたいなことを書きました。その思いは、基本的には今も変わることはありません。

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