一応1ということにしておきましょう。
というのも、高校時代の学力テストの成績が、大体学年で1番だったからです。
昔は「成績が学年で一番」というと、「すばらしい」とか「すっげー優秀」とか思ったものですが、なってみると「こんなもん」と思いました。
学園モノで成績が1番の生徒というと頭が切れそうだったり、勤勉そうだったり、活動的だったり、何か特徴があるものですが、私はそのうち何もありません、成績以外は普通の生徒でした。
むしろ、行動がとろくさかったので、からかわれることもありました。
ただ、そんないじめっ子も、試験の前になると私のところに来て勉強を教えてくれとお願いしてきました。
普通に教えてあげましたよ。普段からかわれているからと意地悪して教えなかったりしなかったし、逆に、自分の存在感を示しているみたいで気持ちよかったです。ただ、人の話を聞いてないような態度をとられたときに、その姿勢を注意したりはしました。そうされると教えにくいし。
そういえば、テストで成績が悪かったり、テストを受けるのが不安だったりする友人が居残っていたときに、一緒に居残ったこともありました。もちろん教えるためです。
あるクラスメイトに教えていたときに、息がタバコのにおいがしたので、その指摘をしたこともあります。ただ、それがいけないとは言いませんでしたね。その人の問題だし、私は先生じゃないし。
ある日、英語の実力テストの成績が2番だったときがあって、「ああ、以前1番だった人が返り咲いたのかな。」と思っていると、それまであまり気に留めなかった男子に呼び止められました。
「arp、お前、英語の成績、2番だろう。」「ああ、よくわかったね。」「そうだろうな。一番が俺だから。」と言われました。
その話をいつも話している友人にしたところ「自分が1番だと2番と決め付けられるお前はやっぱりたいしたものだ。」と、言われました。
当時は太っていたので、女生徒にもてたほうでもなかったのですが、それでも試験前とかに教えてくれとお願いされてくることもありました。そのときだけはもてた気分になれました。
よく言う話ですが、教えることで逆に教えられたり、自分の理解が浅いことに気づかされたり、自分にとってのメリットもありました。そういう体験ができるのも、学年で一番だったからでしょう。
そういうわけで、学校で勉強ができると、内容が身につくだけでなく、変に攻撃されないというメリットはありましたね。ある意味、身の守りになっていました。
よく「勉強ができてもしょうがない。」とか「勉強だけが人生じゃない」とか言われますし、私もそう思います。でも、学校は勉強しに行くところですから、勉強はやっぱりできたほうが良いです。
何も学問や受験勉強に何もかもささげてほかの事には目も振らずにがんばれというつもりはないのです。普通に勉強すれば、それで十分だと思います。私もその位の気持ちで勉強していました。
一番だったのは、何かの偶然でしょう。ただ、一番でよかったと思ったのも、また確かです。

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